バイオリン教室

講師 profile: yasuyoshi ohara

ドイツ国立ベルリン芸術大学卒業 (Hochchule der Kuenste Berlin)

主にヨーロッパで研鑽を積み、ドイツ、フランス( Berlin, Paris)15年在住、2006年まで主にヨーロッパで演奏活動。

豊田耕児、アドルフモンドゥー、アレキシスガルペリン、ローラン・ドガレイユ、

マーティン・ハイベルク, ギ・コモンタール、マスタークラスでヘルマン・クレバースなどに師事。2006年より日本在住。



初心者 〜 留学をめざす上級者までレベル、年齢問わずレッスンいたします。

レッスンの枠は若干空きがあります。メールか電話でお問い合わせください。メールがつかないことがありますので、もし数日たっても返信がない場合はお電話いただけますようお願いします。






はじめに

〜 当バイオリン教室でのレッスンのコンセプト 〜



・バイオリンが上手に弾けるようにお手伝いすることはもちろんですが、数世紀を淘汰し今日なお全世界で親しまれる、人類共通の文化遺産といえる素晴らしい音楽芸術の喜びを分かち合うことを本来の目的としたいと考えています。


・音楽表現へのアプローチ、バイオリンの弾き方を本場の水準、考え方で教えます。


日本の弦楽器奏法に(残念ながら)普及してしまっている特有なクセ(例えば、粘着質な弾き方、 ボーイング etc...)のない、ヨーロッパの弾き方を習うレッスン


音楽性、奏法をヨーロッパの水準で指導し、本場の一流の芸術家から見ても良い方向性だと思われるような表現の方向性や弾き方になるように指導します。




● 名演奏家の間に口伝で伝承される練習法を伝授

バイオリンの練習方法については、過去350年くらいまでにさかのぼって研究しても、ヴァイオリン製作に関する著述が少ないのと同じように、文章に書き表されたものはとても少なく、それらの多くは師弟関係のなかで伝承されていったようです。


当バイオリンクラスでは、30種類の中庸な練習方法より1つの効果の高い練習法を取り入れることを常に目指しています。その全ては講師が一人で考え出したものは一つもなく、全て、巨匠と言われるような過去の名演奏家や近年名バイオリン奏者として活躍している演奏家達から見聞きしたもの、が土台となっています。巨匠と呼ばれる演奏家たちの練習方法や指摘は真に的をついたものが多く、無駄な努力を避けるために大変有益なのです。




●日本とヨーロッパの違いについて(傾向)


ヨーロッパとの最大の違いは、バイオリンをするのか音楽をするのかという意識の違いにあります。この2つは、似ているが全く異なるものだということを理解するのが大切であるのですが、日本ではなかなか理解され難い点でもあります。


当バイオリン教室では、バイオリンを弾くこと でなく、音楽をするためにバイオリンを弾くという感覚を身につけることを大切にしています。パラドックス的に聞こえるかもしれませんが、そのほうがより繊細で高度な演奏技術が身についてきます。ヨーロッパの音楽教育の特徴はまさにそうした概念に基づいています。

指の置き方をどうするとか、弓の使い方をどうするなどということについて取り扱うときも、必ず、先ず、どういう音が欲しいのか、どういう表現にしたいのかというイメージが明確になければただの機械的な動きになってしまうのです。

もし、日本に多い傾向のバイオリンの弾き方に、なにか重たい、マジックで描いたような、モノトーンな印象を受けることがあるとすればその原因のひとつには弓使いの問題があります。


当ヴァイオリン教室では,弓を極力つかまない、解放されたボーイングを身につけることにより、表現や音色の多様さによって可能になる色彩の幅を最大限に生かせるようなヴァイオリン奏法を目指します。

 


当バイオリン教室では、日本に典型的に多く普及している、きっちりとした弾き方とは基本的に違う、ヨーロッパの伝統に基づいた芸術的なバイオリンの弾き方を教えます




● 音楽を芸術としてを総括的に学ぶ


当教室ではバイオリンを練習するだけでなく、音楽を幅広く学ぶことを大切にしています


ヨーロッパの音楽教育がそうであるように、バイオリンの弾き方だけでなく、音楽、作曲家、芸術全般について幅広く知ることができるよう指導します。






● 音楽を繊細に描く本物の技術は音楽を深く感受することから身につく


本場ヨーロッパのでの音楽教育がそうであるように、当バイオリン教室では音楽性、音楽の喜びを重視します 。求める表現が繊細になっていって初めて繊細な技術が身についてきます。テクニックは必要性から生まれます。感じる力が弱ければ表現する欲求もきめ細かくないので、繊細な技術が生まれないのです。ヨーロッパでは、(当たり前のことではありますが)楽器をするという意識よりも音楽をするという意識が常に前面にあります。『表現を重視すれば技術が高度になる』ということは、表面だけ見ればパラドックス的ですが、そのようなわけで、この方が真に高度な技術が身につくのです。


私の教室では、一部の例外を除いて日本に広く根付いてしまっている、単に聴衆(日本では残念ながら聴衆ではなく、客と呼ぶようになってしまっていますが。。)を圧倒させるための表現、またそのための技術ではなく、きめ細やかな音楽表現のための真に繊細なテクニックの習得(左手も右手も、また、手だけでなく!、体全体を連動させて使う動きなども含めて)を目指します。

最近ではヨーロッパでも強まる傾向にありますが、作者の描いた音楽の上に自分の音楽を、上塗りするような表現は避けたいものです。もちろん、演奏者の個性はあるのも自然の摂理です。しかし、作者のインスピレーションを打ち消してしまっては単なる音符の羅列になってしまうのです。私たちは音楽に仕える者でしかないのです。